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Questo sì che è amore ラスト・クリスマス

イタリア映画 (1977)

原題がこれでいいのかよく分からない映画である。イタリア映画なので、普通はこの原題が使われているが、全編ロケはロンドンだし、会話は英語、スヴェン・ヴァルセッキ(Sven Valsecchi)以外の主役級2人はアメリカ人とイギリス人である。イタリア語版は存在しないかもしれないので、イギリス公開時の“Last Touch of Love”か、日本語訳の元になった“The Last Night of Christmas”を使った方かいいのかもしれない。

スヴェン・ヴァルセッキが扮する8歳のトミーは、「血液抗体欠落症」を発症し、すべての細菌やビールスに抵抗力がないため、ガラス張りの無菌室に隔離されている。ラリーには、毎日仕事帰りに寄ってくれる母と、浮気のせいで気まずくなり最近姿を見せる回数が減った父、それに大きな犬を連れた友達のラリーの3人しか面会者はいない。そのような心寂しい少年が、父母の離婚という現実を突きつけられ、ひょっとしたら、さらに孤独なるのではと怖れた時に取った行動が、この映画の中心テーマだ。唯一の生きるすべである無菌室を、死を覚悟して抜け出た先にあったもの、それは、両親の離別を何としてでも止めようとする少年の優しい心であった。「不治の病で死んでいく子供」を対象とした類似の映画の中では、感傷的ではあるものの、少年の心の動きが最も丁寧に描かれている。一番の問題は、日本語訳の「血液抗体欠落症」が正しい病名ではない点。この映画には、英語字幕もイタリア語字幕も存在しない。病名を口にするシーンはあるが、特殊な専門用語で聞き取れない。病室の環境から重症複合免疫不全(SCID)の可能性が高いが、これだと映画の筋立てに大きな齟齬が生じてしまう。SCIDは生誕後すぐに発症するため生まれた時から隔離される。従って、母の回想シーンにあるように5~6才で凧を揚げたりできるはずはないし、郊外の家にも住んだはずがない。だから、病院から出たとしても、郊外の家を懐かしがってバスで向かうはずもないのである(そもそも、ラリーのような友達もできないであろう)。架空の病気でも、映画ということで理屈抜きに考えるべきなのであろう。

主役のスヴェン・ヴァルセッキは、イタリア人にしては珍しく、きれいな金髪をしている。立て続けに出演した3作の中で、最も「いい子」の役で、静かな表情が愛らしい。


あらすじ

「血液抗体欠落症」でガラス張りの無菌室に閉じ込められているトミー。仲良しのラリーが尋ねて来ても機嫌が悪い。父がなかなか会いに来てくれないからだ。明日は絶対来てくれる、と言ってラリーを追い返すトミー。そして、明くる日、トミーはスカーフを首に巻いて準備万端。しかし現われたのは母一人だけだった。思わず「パパはどこ?」と訊ねるトミー。いつも一緒には来られないと言う母に、一言「11日」と反撃。「知ってるんだ、お互い好きじゃないって」。そして、早く帰れと促す。母が帰った後で、寂しげに涙を流すトミー。
  

そんなトミーに、ラリーは大きなプレゼントをくれる。洗い物のカートに隠して毛むくじゃらの大型犬プルートをこっそり連れてきれたのだ。ガラス壁に付けられた抱きしめ用のゴム手袋を通して、何とか犬の毛に触った感触を想像しようとするトミー。ラリーは、「カーペットみたい」「熱いと冷たいの中間」と教えてくれる。
  

トミーは父のパペット・ショーをTVで見ていて、自作の曲をスタジオまで送ってくれたら、「僕とジェニーで選んで番組で流すからね」とパペットのピップがしゃべるの聞いて、いつも口ずさんでいる曲を送ろうとギターで弾いてみる。
  

そこに母から電話。今夜はパパと一緒に夕食を食べ、疲れたパパはソファで寝ちゃったと話す。トミーは、昨日はすげない態度をとってごめんなさいと謝り、「すごく愛してる」となぐさめる。
  

しかし、一旦受話器を置くと、電話帳でジェニーの番号を探し出し電話をかける。「もしもし」という父の声に、やっぱりかとがっかりするトミー。返事がないので、父は「どこのどいつだ!」と怒鳴って電話を切る。トミーはしならく受話器を持ったまま涙ぐんでいる。
  

トミーは自作の曲のテープを封筒に入れ、ラリーに渡し、ジェニーに直接渡してくれと頼む。ラリーは一計を案じ、道路際で犬のプルートがケガしたことにしてジェニーの車に乗せてもらい、トミーの曲を流してくれと必死に売り込む。「抜け駆けしたら他の人はどう思う?」。「人生は公平じゃないもん」。子供らしくない表現だが、トミーを知っているからこその言葉であろう。
  

幸いジェニーはトミーの歌が気に入り、番組で一番に流された。「あと6日。そしたらパパが来てくれる」「あと5日。まだ何日も残ってる」「あと4日。絶対来てくれなくちゃ」「あと3日。もう待ちきれない」「あと2日。お願い忘れないで。約束したよね、週に一度来てくれるって」「あと1日。明日は日曜日。嬉しいな。待ってるからね」。スヴェン本人が英語で歌う。嬉しそうに聞いているトミーには、ほろりとさせられる。
  

歌を聞いて衝撃を受けた父は、番組終了後、パペットのピップを連れて病院に駆けつける。ガラスごしにハグする2人。最初、トミーは始めて見る本物のピップに喜ぶが、ピップの口を通してしか話してくれない父の態度に寂しさを感じて、こう問いかける。「パパ、なぜママのこと好きじゃなくなったの?」。
  
  

この言葉にハットした父は、もう一関係を元に戻せないかと真剣に考える。そして、昔よく行ったレストランで正式に食事をし、ダンスをし、語り合う。すべてがうまくいきかけベッド・インしたところで、母の胸をよぎるかつて幸せだった頃の3人の思い出。凧を上げ名ながら走るトミーの姿。母は、トミーを今のような状態にしてしまった自分(染色体異常)を責めて泣き崩れ、2人の中は決定的に破綻してしまう。翌日、そのことをトミーに正直に伝える母。仲直りのありえないことを知ったトミーは、父からもらったピップを抱いて「僕たち一緒にいたい」と言って母を帰らせる。
  

両親がいない状況でガラスの檻に閉じ込められていることに絶望し、死んでも構わないから出してくれとラリーに頼むが拒否される。外に出る方法を必死で考えたトミーは、食事や物品を出し入れするために造られた円筒型の装置の、2枚扉を両方同時に開ける方法を考え付き、実行に移す。トミーが筒を抜けて外をうかがうシーン。
  

病院を抜け出たトミーは、心配になった戻ってきたラリーと偶然街角で出会うことできた。風邪をひかないようにと厚着をさせてやるラリー。その後、トミーは公園で自然の美しさを満喫し、動物園で楽しむが、檻に入れられたチンパンジーにかつての自分の境遇を思い出し、いたたまれなくなる。そして、楽しかった思い出の籠る郊外の家に行こうと、バスに乗る。心配でたまらないラリーも一緒だ。
  

一方、トミーの姿が消えた病院では大騒ぎ。駆けつけた両親が思い当たったのは、病室に置いてあった郊外の家の写真。きっとここに行くに違いないと車を飛ばす。一方、バスに乗ったトミーは、次第に体調が悪くなる。バスを降り、偶然通りかかったパトカーに乗せてもらい郊外の家に到着。そこでトミーと両親は、暖かい暖炉の前で最後の時を過ごすことになる。二人とも素敵だねと言った後で、「これからも、二人がずっと一緒だと嬉しいな」と仲をとりもち、最後は、「もう少しいられたらよかったのに」と息を引き取る。はかなくて悲しいラスト・シーンだ。
  

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